講師ランキング最下位だったときの話2

おはようございます!

ヤクルト1000が無いと寝れなくなってしまった眼鏡Pです。
#飲まなくなったら、夢をよく見るようになり睡眠が浅くなったり、1回1回の睡眠が短くなったりと睡眠不足に(笑)

土日は「かいせつ」をお休みいただきまして、思ったことや考えたこと、これまでのことやこれからのことなどなど色々と書いていこうと思います!

昨日の続きで信頼関係が上手くいかなかった話からです。

それは僕の働き方というか、もっと大きいくくりていうと生き方に現れていたのでしょう。

その頃の僕といえば、塾では勉強さえを教えればいい。もっというと自分の担当教科の授業をすればいい。くらいの甘い考えだったからですね。特に努力することもなく、授業を向上させようとも思っていませんでした。

ギリギリまで授業の準備をすることなく、本当にこんな先生でいいのかな?と疑問を持つこともなく、ダラダラと仕事をしていまし、こなしているフリをしていました。出勤も一番最後で時には生徒よりも遅く出勤したこともあります。休憩時間になると講師室にこもって、爆睡する人間でした。前日に飲み過ぎて二日酔いのような状態で出勤したこともあります。

もちろん子供たちはそんな僕の本性なんかお見通しです。
僕のことを「ヤバい先生だなぁ」と思われていたでしょうし、なめられても仕方がないような人間でした。

自分のせいにもかかわらず、僕は感情的になってしまって頭ごなしに怒ってしまったこともありますし、子供たちの声を聴かなかったことも多々あります。子どもたちとの約束を破ったり、忘れてしまったりと僕のせいで信頼関係を崩してしまったこともあります。

「あの先生は嫌だ」
「担任の先生を変えてほしい」
「先生のする授業は出たくない」
「授業が楽しくない」
「もう通いたくない」
「成績が上がらない」
「授業が分かりづらい」

などなど。たくさんの、ほんとうにたくさんの生徒の期待や思いを踏みにじって、傷つけてしまいました。

そんな先生が保護者さんとまともに会えるわけでもなく、逃げるように面談や電話がけなどで話をすることもなく、過ごしていました。しかし、人生の先輩でもある保護者さんたちです。色々と思うようなことや至らない点ばかりだったと思います。

分かりやすい授業をするだけは3流
成績を上げれたなら2流
人生を変えてこそ1流

と先輩に言われたことがありますが、僕はその3流すら入れない。先生として失格な人間でした。

そして、だんだん輝いている同期と比べられるのが嫌で本社からも足が遠のいて、最後には最低限のミーティング以外は家と塾を往復する毎日となりました。正直、誰にも会いたくなかったです。家にずっと引きこもっていたかったです。入社時に持っていたキラキラした思いや情熱は完全に無くなり、心にぽっかりと穴が開いてしまったような状態でした。

そして気づきました。すべては自分の招いたことだということを。

これらすべて自分の弱さが招いたものです。今でも、辞めさせてしまった子たちの辞めていく顔や話を忘れることは出来ません。もっとこうすればよかった。こうしていればもっと変われたのに。後になって後悔ばかりです。自分のせいなのに、まったく僕はとても身勝手な人間ですよね。

僕はこの通り、そんな人に胸を張れるような人間ではありません。失敗や挫折も数え切れないほどあり、色々とやらかしてきた人間です。偉そうなことばかり書いていることもありますが、たくさんの人たちに迷惑ばかりかけて生きてきました。

それでもダメダメな僕を助けてくれる人たちがいました。どうしようもない僕を見守ったり、諦めなかった人たちがいました。こんな僕でも信じてくれる人たちがいました。その人たちのおかげで、今の僕がいます。本当にありがとうございました。

何かお返しできるものはありませんし、何かお返しできるようなこともありません。すみません。なので、僕は少しずつ、少しずつ、誰かに返していくつもりです。

こんな人間が何ができるかわかりませんが、まずは「塾」を開いて、頑張ってみるつもりです。

アホだな。バカだな。と思って見守っていただければ幸いです。

過去は変えれませんし、やり直すことも出来ません。
後悔からしっかりと反省し、そして学ぶこと。
もうあんな後悔をしないためにも、頑張ります。

本日もご覧くださり、ありがとうございました!
よろしくお願いいたします!