「大人への評価」は子供たちが大人になったときにはじめて評価される

こんばんは!

久しぶりの夜の投稿になりました。ギリギリの投稿になってしまい、申し訳ありません!

料理をすると必ず「しょっぱく」なってしまう眼鏡Pです。
#男の料理ってそんなもんでしょう笑
#偏見

土日は「かいせつ」をお休みいただきまして、思ったことや考えたこと、これまでのことやこれからのことなどなど色々と書いていこうと思います!

さらに今日は、短くなる予定でしが、長くなってしまいました!すみません!

最近になって思うことがあります。

僕の親ってどんな人なんだったんだろう?
僕のおじいちゃん、おばあちゃんはどんな人だったんだろう?
お世話になった先生たちってどんな人だったんだろう?
仲良くしてくれた友達ってどんな人だったんだろう?
お世話になった先輩ってどんな人だったんだろう?
などなど。

子ども時代の僕は、今もなかなかですが、それよりもかなり抜けていた人間だったので、正直何も考えずに生きてきました。単純にバカなだけなんだと思ってますが笑

特に子ども時代なんて何も考えてなかったし、右も左も分からないし、初めてのことばかりだから、比べるものもないまま、なんでも素直に受け入れたり、その時の気分や感情に流されてしかないんだと思います。流されやすいタイプだったのもありますが笑

でも、やっぱり人って合う合わないってあると思うんですよ。
「あの人、なんか好きだな」
「あの友達は信用出来るな」
「あの先輩、苦手だったな」
「あの先生、合わなかったな」

っていうのは、ボンヤリとあってわざわざ口に出さなかったけど、好きな人もいれば合わない人や苦手な人もいます。その時はその感情のままで動いていました。

でも、時間が過ぎて大人になったときに、

「あの時は分からなかったというか、あの人ってこういう人だったんだな」

と分かるというか、思う日がきっとあると思うですよ。

それは、好きとか嫌いとか、良いとか苦手とか、合う合わないとかのレベルじゃなくて、さらに先の「なんで?」だと思うんですよ。

それは自己理解が深まるからなのか?色々と経験したものから来るものなのか?それ以外なのかは正直、分かりません。

でも、それは確実にあって5年後なのか、10年後なのか、20年後なのか分かりませんが、誰しも気づくというか気づいちゃうんです。

過去のことがフラッシュバックするように、アドバイスや言われたこと、お世話になったことなどを思い出すんです。

例えば、


「あの人、苦手だな」


「あの人ってこんな人だったな。そういう所が自分と合わなかったから苦手だったんだな」

あんまりいい例えが思いつかず、すみません!

そんな感じで直感的ものだけでなくて、そこに「なんで?」がついてくる感じです。

特に子どもの時って、よく大人の行動や言動を見ていて自分が大人になった時にそういえばと思い出して、ようやく分かるんだと思います。

言い方はきつくなりますが、「どんな人」だったという「評価」されるんだと思います。と、確か何か本に書いてありました笑

自分が大人になった時に評価される。つまりその人の「生き方」が出るのだと思います。

僕の場合だと、分かりやすいのが両親です。自分が親になって初めて自分の親のことが少し分かります。すごい親だと。

僕は「生き方」って本当に大切だなと思っています。それが「とんな人?」と繋がっているからだと思います。「生き方」で全ての行動や言動が決まります。だから大切なんです。

人と接するときに
どんな行動をするのか?
どんな言動をするのか?
を気をつけなければならないからです。

それは、その子が大人になった時に気づくんです。

「あの先生ってこんな人だったな」と。

だから、生徒たちが大人になったその時に「あの先生ってさぁ」と思い出してくれるように僕は頑張ります!

生徒たちが僕のこと評価されるとき、ダサい大人だったなと思われなたくわないですね笑

頑張ります!


本日もご覧くださり、ありがとうございました!
よろしくお願いいたします!