僕の人生

おはようございます!

元旦でも朝3時から眼鏡Pです。
#頑張ります!

土日は「かいせつ」をお休みいただきまして、思ったことや考えたこと、これまでのことやこれからのことなどなど色々と書いていこうと思います!

今回は子供の成長を見ながら、僕って昔からポンコツもいいところのポンコツだったなと思い出した話をしたいと思います。

僕の人生をせきららにお話しますので、他言無用でお願いします(笑)

僕、おそらくですがADHDに近い子だったと思います。最近ではM1を2年連続で優勝された「令和ロマン」のくるまさんもADHDだということが話題になりましたね。
#令和ロマン、面白過ぎる(笑)

例えば、どんな感じの子だったかというと、
・動いてないと気が済まない。
・テレビのリモコンを噛んで遊んでいた。
・勉強は出来ない。
・ボタンは小学生まで止めれなかったので、小学生低学年くらいまではボタン無しの服しかきれなかった。
・保育所の準備ができなかったので、2つ下の妹にやってもらう。
・箸はどうにか使えるようになったのは、小学生くらい。それまでは上手く使えていなかった。ちなみに今もそんなに上手く使えず、持ち方が変らしいです。
・工事作業のところがあると座り込んで1時間以上座り込みをするので、母親は工事があるところは遠回りしてまで避けた。
・3歳くらいまでほとんど言葉を話すことができなかった。
・ボタンがあると押したくなって、電車の緊急ボタンや火災報知器のボタンを押したことがある。
・うっかりミスや忘れ物が多い。
・椅子に座ってられないなので、椅子、前倒したり後ろに倒したりを繰り返していたら、やり過ぎで椅子の足を壊してしまった。
・ほとんどのことに関心がなく興味を持たなかったがに牛乳瓶のフタ集めなどハマると没頭してしまう。
・人の話を聞かない。聞いていても窓の外をずっと眺め(ながめ)ている。
・今もあるくせなんですがご飯を食べに行ったり、飲み会とかあると爪楊枝(つまようじ)や箸袋などで遊んだりして手遊びが始まってしまう。

などなど。

あとは、保育所の1/3以上は休んでいて、それを証明するかのように卒園アルバムでも右端の方に丸いシールで顔写真が貼ってありました。不登校の時期もありましたし、身体も弱く体調をよく崩して休みがちの子でした。今、書いてても恥ずかしいものばかりですが、母親に聞くともっと色々とあったそうです。

これに小学校高学年〜大学生くらいまでの含めるともっともっとヤバいです。ほんとにあんまり皆さんや生徒さんにも偉そうなことが言えないくらい、どうしようもない子供でした。

だけど、どうにかなりました。

イジメまではいかなかったと思いますが、小さいころはゲーム機を持ってないのでよくハブられていました。ゲーム機を買ってもらえたと思ったら、次は携帯を持ってなくてハブられました。高校で唯一携帯を持っていませんでした。パシリだった時やみたいだった時は何回もあります。1人でご飯を食べていたことも多々あります。なんなら、トイレご飯を食べていた時期もあります。だから、僕は学校が嫌いでした。学校なんて行きたくありませんでした。行きたくなさ過ぎて、仮病を使ったこともありし、不登校みたいな時期もありました。

そんな僕ですが、どうにかなりました。

以前のブログを見ていただければ分かるように、学校の先生やテレビに出られたりする塾の先生、本を出されているような先生のようにすごい人でもなんでもなくて、普通の人なんです。むしろ、よく例えられますがピラミッドでいうと「下」の方でした。

正直、オタクだった時もあります。でも、オタクとは言われことは一度もありません。今や昔はどうか知りませんが、僕が学生の時はオタクは嫌われる時代でした。オタクと言われるのが嫌でオタク友達とはみんなの前では距離をおきました。自分の好きなものを好きと言える友達をいいなぁと思いながら、一方でみんなからオタクだと嫌われるのが嫌で、好きなものを嫌いと言っていました。そんな自分が嫌でした。

でも、ちょっとずつですが好きなものは好きだと言えるようになってきたし、どうにかやっていけています。

社会人になっても同じでした。新卒の時、営業は最下位からのスタートでした。現場に出れたのは確か100人中、下から2番目くらいでした。講師時代も移動して、最下位からのスタートでした。数年後、同期が1位なりましたが、僕の順位は下から数えた方が早いくらいでした。

塾の先生が学力を一定に保つために行うテストで講師テストというものがあります。その講師テストも何回何回も落ちて後輩に勉強を教えてもらうくらい勉強が出来ない先生でした。勉強が出来なさ過ぎて、めちゃくちゃ怒られました。そのくらい、もともと勉強は苦手だし勉強嫌いでした。

でも、頑張る以外できない僕はそこから必死で頑張りました。そのおかげか、生徒の頑張りや周りの皆さんのサポートのおかげもあり、どうにか最後の最後は1位をとれると思いましたが…

コロナで入賞式は延期になり、入賞式前に僕は退社してしまったので白紙になりました。

でも、また塾を始めようと思いました。

群馬に行き、キャンプ場の仕事に就職しました。キャンプなんてやったことすらありません。アルバイトさんと一緒にトイレ掃除や洗い場、お風呂を綺麗にするらことから始まりました。毎日毎日出勤しては、トイレを磨いていました。箒(ほうき)の掃き方や雑巾(ぞうきん)のしぼり方など、基礎の基礎から始まりました。また、ゼロからのスタートになりました。

でも、どうにかなりました。

毎回毎回。
上手くいったことなんて一度もないんです。
むしろ、上手くいかないことだらけ。

もっと言うと人よりも不器用だし、頭もいい方ではないので、火傷はしっかり火傷するし、やるな!と言われたことは何回やらかしたか分かりません。

何回、言わせるんだ?
新卒よりひどいぞ?
今まで何を学んできたんだ?
そんなことも分からないのか?
そんなんだから、ダメなんだ。
おいおい、またやってんのか?
何回言われれば、気が済むんだ?
そろそろ大人なんだから、それくらい分かれよ。
子供かよ。
ちゃんとやれ。
そんなことすら出来ないのか?
よくそんなんで生きてこれたな?
世の中舐めんなよ。
そんなことやっても意味ないぞ。
言ったことすら出来ないのか。
いつ辞めるんだ。

と散々言われてきました。めちゃくちゃ言われてきました。

でも、僕は生きています。

色んなことがありました。苦しいこと。悲しいこと。辛いこと。怒られたこと。いっぱいいっぱい、いーーーーっぱいありました。

ほんとにポンコツです。

ご迷惑ばかり、お手数ばかり、面倒ごとばかりかけてしまいました。ほんとに申し訳ありません。

でも、僕は知っています。

そんなポンコツな人生は、いつの日か素晴らしい思い出や経験を僕の人生に与えてくれることを。

まとめると、なんとかなります。

そして、逆境はその逆境が大きければ大きいほど、それを乗り越えたり克服した時にもっと大きな喜びをくれます。

そうだといいなと思ってますし、そうだと僕は本気で思ってます。

僕の人生も捨てたものではありません。

だから、僕は今日も頑張ります。

本日もご覧くださり、ありがとうございました!
よろしくお願いいたします!