こんばんわ!
夜中に雨が降るなんて聞いてない眼鏡Pです。
#どしゃぶりなんですけど・・・泣
では、2024年北海道公立高校入試問題の過去問の社会を「かいせつ」していきます。

社会2⃣(歴史)
問1
例:ムラ同士の争いが起こった
縄文時代から弥生時代に移り変わり、稲作を行うことにより、身分の差が生じ、また農地や農作物を奪い合う、ムラ同士の争いが起こった。このような趣旨を15字以内にまとめればよい。この時代のことを述べるのに「村」という字を使わないことに注意する。
問2 イ
ア→×
大仙古墳が築造されたのは、古墳時代中期の5世紀中頃のことである。時期が異なる。
イ→〇
ウ→×
桓武天皇は、東北地方の蝦夷(えみし)を制圧するため、征夷大将軍を置き、坂上田村麻呂を任じた。東北地方の制圧地を広げ、802年には陸奥国(現在の岩手県)に胆沢城(いざわじょう)を築いた。場所が違う。
エ→×
源義家が前九年合戦・後三年合戦を平定したのは11世紀中期の陸奥国のことであり、④の地点の伊予国(現在の愛媛県)ではない。
よって、ア・ウ・エのどれも誤りを含んでおり、「イ」が正しい。
イ:663年の白村江の戦いでの敗北後、②で示された北九州の筑前国に山城や水城(みずき)が築かれた。
問3 エ
資料は、織田信長が安土などで行った「楽市楽座令」である。
ア→×
楽市・楽座は成功したが、京の町が灰燼と化したこととは関係がない。京都の町が灰燼と化したのは、1467年に起こった応仁の乱の際である。
イ→×
大山崎八幡の商人たちは、えごま油についての「座」を構成していたが、信長の楽座令によって衰退していった。
ウ→×
新田開発が進み、農民が肥料として干鰯(ほしか)を購入するようになったのは江戸時代である。
→ア・イ・ウのどれも誤りを含んだり、時代が異なったりしており、「エ」が正しい。
エ→〇
楽市楽座が出された各市では商人の往来が頻繁になり、城下町も発展した。信長の政策は成功だったと言える。
問4
① イギリス
② ドイツ
③ オランダ
A:アジア
B:アフリカ
①:イギリス
イギリスは19世紀を通じて、アジア・アフリカに最も多くの植民地を持っていた国である。
②:ドイツ
18世紀後期にはまだ植民地を持っていなかったが、19世紀末には南西アフリカ・東アフリカなどに植民地を獲得した。また、中国の山東省もドイツの植民地となった。
③:オランダ
19世紀後期にはイギリスとの競争に敗れ、その座を譲り、この時期には植民地が増えていない。
A:アジア
アジアに群を抜いて多くの植民地を持っていたのはイギリスである。
→Aはアジア。
B:アフリカ
オランダはアフリカには植民地を持っていなかった。
→Bはアフリカ。
以上になります。
※意味や画像などはWikipediaなど、さまざまなサイト様を参照しています。
本日もご覧くださり、ありがとうございました!
2024年 北海道 公立高校入試問題 過去問 社会でした。次回からはこの続きを「かいせつ」していきます。
よろしくお願いいたします!
【学習塾トモニー】
塾のホームページが完成しました!もし興味がある方はぜひ、見ていただければと思います!完全自作になります!よろしくお願いいたします!