こんばんわ!
雷をこれほど恨んだことはない眼鏡Pです。
#授業が途中で終わっちゃった・・・泣
では、2024年北海道公立高校入試問題の過去問の社会を「かいせつ」していきます。

社会2⃣(歴史)

問1
(人の名前)菅原道真
618年に建国された唐は、7世紀中期には国力を強め、日本はその政治制度や文化を吸収しようとし、630年から遣唐使を派遣した。894年に菅原道真の建言により、遣唐使が停止されて以来、中国との正式な国交は途絶えた。
①イ
平安時代末期、政権を握った平清盛は、現在の神戸港にあたる大輪田泊(おおわだのとまり)を大規模に修築し、日宋貿易を盛んに行って経済の基盤を作り上げた。大輪田泊の略地図上の位置はYである。
②ア
平清盛が行った日宋貿易では、日本からは刀や工芸品などが輸出され、宋からは大量の宋銭が輸入された。流入した宋銭は、日本の市場で広く流通するようになった。
問2
(国の名前)ポルトガル
バスコ=ダ=ガマは、ポルトガル人の航海者・探検家である。ポルトガル王の命を受けて東回り航路をとり、アフリカ大陸の南端の喜望峰を回って、1498年にインドに到達した。その後、ポルトガルはアジアとの貿易に乗り出した。
ア
宗教改革が進展する中で、プロテスタントに対抗しカトリックを再興するためにイエズス会がつくられた。イエズス会は海外布教に力を入れ、宣教師フランシスコ=ザビエルは1549年に日本での布教のため鹿児島に上陸した。その後も宣教師の来日が相次ぎ、大名や庶民の中にキリシタンになる者が多数出現した。
ク
ポルトガルと日本との交易は、平戸や長崎で行われ、ポルトガル人や、ポルトガルに少し遅れて来航するようになったスペイン人は南蛮人と呼ばれ、彼らとの交易は南蛮貿易と称された。
カ:16世紀後期から17世紀初期の朱印船貿易についての説明である。
ク:正しい。
キ:室町時代に行われた勘合貿易についての説明である。
ケ:19世紀後期の幕末の貿易についての説明である。
※カ・キ・ケはいずれも別の時代の説明である。
問3
イ
1804年にロシアのレザノフが通商を求めて長崎に来航し、幕府は対応を迫られた。
①樺太[サハリン」
蝦夷地の北限である宗谷の北方にある島は樺太である。樺太は江戸中期まで大陸と陸続きか島か定かでなかった。
②間宮林蔵
幕府の役人として樺太探検の任に当たったのは間宮林蔵である。満州との間に海峡があることを発見し、樺太が島であることを明らかにした。この海峡は間宮林蔵の名をとって間宮海峡と呼ばれる。
以上になります。
※意味や画像などはWikipediaなど、さまざまなサイト様を参照しています。
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2024年 北海道 公立高校入試問題 過去問 社会でした。次回からはこの続きを「かいせつ」していきます。
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